何何日記

『気ままに自由に』がモットー

この一年の変化

#この1年の変化

 

そう言われてふと考えてみた。

 

友達と会えなくなった。

旅行に行けなくなった。

仕事の売り上げが悪くなった。

ボーナスが少なくなった。

飲みにいくことがほぼなくなった。

 

 

ぱっと浮かんだのはこれ。

良くなかったことばかり考えてしまうのなんとかしたい。

けど、ちゃんと変化して生きれているな、とも思った。

 

 

なぜなら、良くなかったことに対して、こんなふうに変えれたから。

 

 

会いたい友達にちゃんと連絡を取るようになった。

国内、近場で楽しむ方法を見つけた。

仕事の時間が短くなった。

ちゃんと自炊するようになった。

夜、自分の時間がきちんと作れるようになった。

恋人といる時間が増えて将来の想像がつくようになった。

 

 

短所は長所であり、長所は短所である。

良くなかったことでも、受け取り方次第で逆に変えられる。

人間って、置かれた環境の中で自分なりに満足いくように、日々変化しながら生きていくんだな。

はじめはなかなかそう思えなくて不安でいっぱいだった。

けど一年経って、ようやく前向きになれた。

 

 

総じて思うのは、

 

無理しなくなった、ということ。

 

 

無理に誰かといることも、

無理に仕事をすることも、

無理に一人になろうとすることも、

無理に着飾ろうとすることも。

なくなったなぁ。

 

 

変わってしまったことばっかりだけど、

それでもよかったなと、そう思えるのも、感染予防対策をしっかりして、遠くにいる大切な人には会わないようにして、コロナにかからず今過ごせているから。

大切な人を失うこともなく、今生きれているから。

それは、とんでもなく奇跡なんだと思う。

 

yudanntaiteki

気を引き締めていきましょう。

 

鳴らしていこう、危険信号

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こんにちは!

冬休みをいただき、一週間ぐーたらしておりました。

 

出かけられる世の中でもないわ。使うお金もたいしてないわ。

て感じで、一週間何もせず。ストレス何もなし。不便なし。

 

一週間が終わる今日、思ったことは、

 

 

心すり減らして毎日働いていたんだなぁ。

です。

 

 

もうほんと、

この一言に尽きます。

 

 

 

去年の自粛期間中にも同じことを思って、

仕事再開時に、仕事詰めすぎないようにしよう。って思っていたのですが、

 

また生き急いでました。いかんいかん。

ちょっと普段の自分から離れてみないと、俯瞰して自分を見れなくなってるものですね。

 

 

なんで休みはストレスがないんだろうを考えた結論、

 

 

関わる人がいないから、一人だから

 

 

 多分きっと、これです。

 

 

 

一人だったら

理不尽に怒られたりしないし、

相手の機嫌伺って話さなくていいし、

ハプニングであたふたすることもないし、

仕事の熱量が違う!とかで悩まなくていい。

 

 

好きなときに好きなことして、好きな人とだけ会う。

自分の心を許したコミュニティの中だけだから、波風も立たない。

それが平和でいいような気がしてしまうけど、

 

 

 

それでも、

考えが違う人と話したり仕事したりするのは楽しいもので、

成長できたなー!と思えるのは、そういう人と一緒にいるときばかりだなあとも思った。

 

 

だから結局、

バランスなんだ、バランス。

 

 

 

好きな人ばっかに囲まれてても成長できない気がするし、

苦手な人にばっか囲まれてても心が休まらない。

 

 

 

ピピーーーー!!!

傾いてるよーーーーー!!!

危険危険!休まないとだめ!!

どうした!ぬるま湯浸かってるぞー!!

 

 

って言ってあげられるのは、自分と、自分の一番近くにいてくれる人だけです。

 

 

あーそう言って明日からの仕事、嫌だなー。

また嫌味言われるー、期待に応えられなかったって凹むのやだなー。

あーやだやだ!ほどほどに!頑張りすぎず!と言い聞かせて。

 

 

鳴らしていこう。

ピピーーーーーー!!!!!

 

 

伸びろ自分

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『才能を見つけたい』


のが今年なんですが、

才能があるかはわからないけど、
『好きなことを伸ばす』ことも今年やりたいこと。

 

 

ってなわけで、単焦点レンズ買いました(突然)

 

 

写真はもともと好きで、
一眼レフを買ったのはもう8年前ほど。

一瞬ハマってそのあと手つかず7年。
当時は風景とか花とかそういうものばかり撮っていて、楽しくなーいってやめちゃった。

 

 

だけど仕事の一環で写真を撮ることになって、人を撮ることが好きなんだと感じたのはほんとにここ最近のこと。

 

おっ!これ雰囲気出たな〜かわいくとれたな〜とかわくわくする。

 


飽き性なくせに形から入るタイプの私なので、

買っちゃいました単焦点レンズ。

 


さーここから続くのか?
SIGMAを活かせるのか?

 

 

やってやろうじゃないのー!って気持ちで、がんばります。

 


ちなみにここ最近で挑戦した才能探しは、
セルフネイルアートです。乾くまでじっとしてられなくてダメでした。やっぱりな。

 

次週、釣りに挑戦する予定です。

あ、でも釣り堀です。
 

 

根ガティブのゆくえ

わたしは、根っからのネガティブだ。

とにかくネガティブ。

とんでもなくネガティブ。

深ーく深く、考えすぎて自爆します。

 

こうなったらどうしよう、

ああ思われたなどうしよう、

何にもできなかったな、

あー私はほんとうにだめだ。

ここからはもうずーっとこれの無限ループ。

 

 

 

この間仕事で凹んだ時、

生理とちょうど重なっていて、(生理のときは特にナイーブ)

またこのネガティブ無限ループに陥り、

危うく戻ってこれなくなりそうだった。

 

 

この底無しネガティブ沼の最終はいつも決まっていて、

 

『私が生きている意味はあるのか?』

という疑問。

 

 

仕事だったり、友達だったり、恋愛だったり、

その時々でのうまくいかないことを、

それぞれ重く受け止め、気に病んで、ネガティブ沼にハマっていき、生きる意味を問う。

 

なんてめんどくさい人間なんですかね。笑

 

 

こんなことを、週に5日繰り返しているときもあって、情緒不安定すぎて、よく心配されます。

 

 

そこからどう抜け出すのかというと、いつも連絡する友達2人に救いの手を差し伸べてもらう。

 

 

“すごく頑張ってると思うよ!”

“それが生きるってことだから、頑張って生きていこう!”

 

とか。

2人は逐一褒めてくれるし、励ましてくれる。

 

 

誰かに必要とされるために、生きている。

必要じゃないのかもしれないと思った時に、苦しくなる。

 

仕事でも友達でも恋愛でも、

きっと必要とされてるかされてないかが重要なんじゃないかなぁ。

 

 

これが最近考えた私の結論。

 

 

根っからのネガティブだけど、

今更どう頑張っても変えられないので、

周りにいる人たちに支えてもらいながら生きていこう。

 

でも、いつも支えてもらってる分、

ありがとうはちゃんと伝えていこう。

 

根ガティブが故、たくさん周りに迷惑かけますが、それでも居てくれる人たちを大切に。

開き直って生きていきましょう。

この考え方すらもきっと明後日には、

あーなんて私は不甲斐ないんだとか思うんだと思うけど。

 

はい、とりあえず今日も仕事がんばりました。

お風呂入りましょ。

 

 

 

 

折り合いがつかない

仕事が苦しい

 

初めてそう思った。

 

就職して9年目になるが、こんなに掛けたくない電話をすることも、こんなに無気力な夜も初めてだった。

 

 

 

長年ご贔屓にしてくださるひとりのお客さまがいる。

出会いからはもう6年ほどで、わたしの母よりも歳上。

 

若いのに本当に頑張ってるといつも褒めてくださり、いつも新しいこと、場所、知識を沢山教えてくださる方。

 

 

娘のように察してくださり、わたしもできる限りの全てのご要望にお応えしたいと思って、今までずっと担当をしてきた。

 

 

 

 

 

しかし今回初めて、ご要望にお応えできないかった。

 

会社として、今回の要望は受けられないとのことだった。

 

 

 

 

 

9年目になり、割と地位も上がって、会社のことが末端の頃よりもわかるようになってきた。

 

 

 

取引先のこと、利益のこと、効率のこと、会社として目指すべき方向性のこと。

 

だから今回上司が首を横に振ったことも理解はできた。

 

 

 

理解できたと同時に、一番大切であると考えていた『お客さま』は会社にとっては一番ではないのかと改めてそう感じたことにショックだった。

 

 

そしてそれを一番大好きな人に伝えなくてはいけないサラリーマンな自分にも嫌気がさした。

 

 

 

 

一生で一番掛けたくない電話をかけたときのお客さまのお返事は、本当に、本当に優しかった。

 

 

板挟みにさせちゃったわね、本当にごめんね。

あなたのせいじゃないのよ、あなたがいつも良くしてくれていることも、今回も頑張ってくれたことも、わたしには、全部、わかっている。

悲しいけれど、それでもどうにもならないことってあるのよね。

あなたの悲しい声が一番悲しいから、もう頑張らなくていいからね。本当にごめんね。

 

 

大好きな人に、こんなことを言わせている自分に腹が立った。悲しくなった。どうしようもない感情でいっぱいになった。

 

 

もっと最善の策はなかったのかと今もずっと考えている。

 

 

だれが悪いわけでもなく、本当に折り合いがつかなかった。どうしようもないほど、折り合いがつかなかった。

 

コンプライアンスっていうのは人を救う便利な言葉であり、人をこんなにも悲しくさせる言葉でもある。

 

今もずっとずっと終わりのないことを考えている。

このことは一生忘れないだろう。

 

 

 

人生のターニングポイント

 

人生変わったなと思う瞬間がここ最近あったのでそのことを。

 

2021年1月1日元旦

親友に子供が産まれた。

晦日の明け方4時から30時間に及ぶ、

長時間の出産だった。

 

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『鼻からスイカ、マジだったわ。』

親友の一言目がらしくて笑った。

 

親友とは16歳からなのでもう11年の仲になる。

高校時代から、起こる全てのことを逐一話している唯一の親友。

 

そんな親友が結婚したのはごく自然の流れで、

付き合って3年の年上の彼氏と。

 

親友が結婚したからって、

私もしたーい!と思うことは一度もなかったし、

私は私。と思っていた。

 

 

親友が母になることは、そう遠くない未来だろうとは思ってはいた。

だからといって私は何も変わらないだろう、とも思っていた。

 

 

 

けど

全然違う。

結婚すっ飛ばして、子供欲しい。

 

 

 

とにかくめっちゃかわいい。

親2人をよく知っているからか、とにかくめちゃくちゃに可愛い。

目に入れられる、食べれるほど可愛い。

寝てても起きてても泣いてても欠伸しててもすべてが素晴らしく可愛い。

 

可愛い以外の語彙が無くなる破壊力。

 

目と鼻は親友に似て、口は旦那似。

DNAって素晴らしい。神秘。

この子のためならなんでもできる。親でもないと私が思ってしまった。

 

 

そんでもって、

親になった2人がめちゃくちゃ変わった。

凛とした、逞しくなった、デレデレになった。

 

子供が産まれることが、

人生のターニングポイントなんだと肌で実感した。

 

 

ここから親友夫婦の第二章の始まり。

身近でこんなふうに見届けられて本当に嬉しく思うし、本当に2人に会えてよかったと思う。

 

ここまで起こった全てのことに、感謝したい。

 

 

そう思うほど、子供は尊い。生きがいになる。

親以外の誰かの生きがいになるんだから。

私が親になるときはどんな風になるんだろう。

 

#人生 #人生のターニングポイント

#出産 #子育て #生きがい

才能を見つけたい

 

生まれて27年目。

未だに自分の才能を見つけられていない。

全てにおいて、人並みかちょっと足りないことがほとんどだった。

 

運動神経は悪い方ではないけど二重跳びは一度もできたことがない。

勉強が得意なわけじゃないけど特別できるわけでもない。

人と大きな喧嘩をしたことはないけど、友達がめちゃくちゃいるってわけでもない。

=総じて、飛び抜けた特徴がない!!!

 

でもふと考えてみた。

才能のジャンルに触れてないから!

出会えるチャンスがなかったから!

眠ってる才能に気付けてないだけなんじゃないか、

なんかあるんじゃないか、自分!

 

今年は、自分の才能探しをしようと思います。

しょーもない才能でもいい。

なんかあるでしょ。お願い。

 

ワカサギ釣りだったらめちゃくちゃ上手いとか

ベースだったらめちゃくちゃ上手いとか

普通に描く絵は下手だけど、油絵だったらめちゃくちゃ上手いとか。

 

才能探しの経過を記録していきたいと思います。

 

ちなみに最近、二重跳びに挑戦しました。

結果、大人になっても飛べませんでした。

二重跳びの才はなかったと言うことを見つけました。よしいいぞいいぞ。

今年は才能見つけるぞ〜!